2022年度 早期受付

代表あいさつ

International Space SODA代表 高島好美 International Space SODA代表
高島好美

私がバイリンガルになって
早16年が経ちました。

当時28歳の私はタイのバンコクに居住することになりました。
娘をインターナショナルスクールに入れたくて探したものの、英語が話せないのでは無理と断られてばかりでした。最後に訪れたスクールが入学させる条件として「母親が英語を話せること」を出されました。大して話せないのにもかかわらず「Yes! I can!」と言ってしまったことがきっかけとなり、私は必死で英語を学び、話し、聞く毎日を独学で行いました。
当時の私は買い物さえ外国人のふりをして英語しか話さず、独り言を英語にしました。
ある日、私は日課のCNN鑑賞をしていた時、ふと「Fire」という言葉が耳に飛び込んだ瞬間、「火事」と頭の中で日本語に訳した後、そのあとに続く文章を聞き取ることができていないことに気づきました。

「そうか。日本語で訳すのをやめてみよう。」

この日から私は英語を日本語で理解することを諦めて、たとえ理解できなくても英語を英語のまま受け入れる努力をしました。
数日後、私は英語で夢を見て、「I was speaking English in my dream !」という自分のつぶやきで目が覚めました。この日から、私は日本語に訳すことなく英語を自由に話せるようになりました。

「バイリンガルになること」

自分に課したタスクはもはや重圧でした。
大人でバイリンガルになることは大変で、今思い返しても、もう一度やり遂げる根性と自信はありません。ただ、自分のせいで娘たちがインターナショナルスクールに入れてもらえなかったのでは一生後悔するとの思いが、私を奮い立たせてくれました。
こんな必死に英語を学ぶ私のそばで、幼い娘たちはあっという間に英語を覚え、ネイティヴのような発音で多国籍の同級生と当たり前のように英語でコミュニケーションを取っていました。娘たちを見て「羨ましい!子どもはなんて簡単に英語を話せるになるのだろう!」と驚いたのと同時に、「同じアジアのタイでできるなら日本でもバイリンガル育成はできるはず」と確信し、「日本でバイリンガルキッズの育成をする」と心に決め、ただまっしぐらにこの道を歩んできました。

タイではインターナショナルスクールでのボランティア活動に参加し、娘たちの先生からはチュータリングや発音を学び、そして多くの異国の友人達が私の夢を叶えるために協力してくださいました。

帰国後もたくさんのご縁を頂き、英会話スクールのアシスタント、講師カリキュラムなどのコーディネート業務、FC展開、企画運営やインターナショナルプリスクールの立ち上げ運営主任などを経て、2008年に念願の自分のスクールInternational Space SODAを立ち上げ、数多くのお子様をバイリンガルに育ててきました。現在も素晴らしいスタッフと保護者様に支えられ、ISSの子ども達は今日も英語を飛び交わしながら楽しく過ごしています。

今年でISSは9年目となり、ISSで英語に出会い育ったお子様がいよいよ中学生になります。彼らの英語は流暢で自分の思いが自由に英語で伝えられ、まるでネイティブスピーカーのようで、私は彼らを誇りに思います。

ISSの子ども達を是非一度見にいらしてください。
日本でもバイリンガルになれること、是非みなさんの目で確かめてください。
ISSは自信を持ってお子様をバイリンガルキッズに育てるようお預かりします。
これからも子ども達の未来が世界に広がるように誠心誠意尽くす所存です。
皆様のお越しを心よりお待ちしております。

2016年2月吉日
International Space SODA代表
高島好美

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